迷いと決断

迷いと決断と聞いて思う、私は決断などしていない。ずっと迷ってばっかりで、今でも助けを求めたいくらい。

 

私は引きこもりだ。なぜかと言うと、学校が分からなくなったからだ。高校時代、テレビや新聞でイジメによる自殺があると、教えてもらった。私はイジメられていなかったが、情報によると学校がイジメを隠している事を知ったんだ。嫌だった。私の中である考えがあった。世間ではイジメは、暴力や悪口を言う事を指していた。私の考えと違う。イジメとは、相手の気持ちを無視する行為だ。学校が生徒の気持ちを無視している、その状況がイジメだ。私は学校という概念にイジメられた。もう、怖かった。

 

マイケルジャクソンは「今夜はビートイット」の歌詞で「暴力から逃げろ」とカッコよく歌った。しかし、学校から逃げて社会に通用する訳はないと知っていた。学校に行くか、新たな道を探すか、日々考えが変わっていった。1つは、学校の先生が親身になって、放課後に雑談をしてくれたので、頑張ろうとした。もう一つは、これからバイトで生活して、彼女を作って幸せな生活を夢見た。2つに1つだった。しかし、私は決断しなかった。鬱になった。結果、学校の単位が足りなくなり、バイトも行けなくなった。

 

鬱の私は自殺したかった。しかし、母親がいた。父親がガンで亡くなった悲しみを忘れはしない。祖父の戦争体験が頭に浮かんで、今に生きている幸せを知っている。自殺すると警察や周りの人やお金で迷惑をかける事を聞いた。駅で電車を待つたびに、一歩前に進み、線路の上に立って、バイバイと叫んでやろうかと。ただ、踏み止まっている。中学生の頃から松本人志を崇拝している。ラジオで自殺について語った。「自殺する奴はアホ」。賛否両論の名言だ。自殺すると、世間は優しくしてくれる。生きている時に花束を貰った事ないのに、自殺すると沢山の花束が贈られる。自殺する行為が馬鹿馬鹿しい。やっぱり、自殺する奴はアホだ。

 

笑えなかった。中学生時代は、笑いが正義だった。でも、今はない。ウルトラマンが3分経って、帰った感じだ。敵もいない、正義もいない、ちっぽけな街があるだけ。虚無感って、これ。深夜のテレビでさまぁ〜ずが街を歩いていた。笑えなかった。サイコロを振った、アナウンサー。サイコロの目に、文字。司令に、三村が。声した。「おちんちん!」。下らない。笑った。来週も「おちんちん」。また聞きたい。まだ、自殺しない。笑いたい。笑えた。

 

5年以上経った。ジムに通い、運動しながらのラジオが楽しみだ。木梨憲武がラジオを始めた。「木梨の会。」というタイトルが「らしいな」と思った。放送中に電話したり、ゲストが予告なしに来たり「らしいな」と思った。放送作家が募集された。夢だった、放送作家のオーディション。ハガキ職人でないと不可能な職業。夢は夢。諦めた。数週後にオーディションが確定した。「行けば良かった」あーーーーーーーーーーーー!後悔、後悔しかない。メールを送った「遅れましたが、エントリーできますか?」。

 

メール。「木梨の会。」からだった。間に合った。電話。スタッフさんだった。本当だった。母親にお金を頼んだ。大阪から東京までの新幹線と、宿泊費と、食事代と…。母親は許してくれた。突然の願いだったが、行けば、なんとか、なる?鬱で病院通いの私なので、体が万全ではないからだ。不安と後悔から、私は努力を惜しまなかった。26歳。大人。8年も引きこもりをやってたけど、大人の考えが出来た。100個、企画のタイトルを考えた。

 

努力もあり、オーディションに合格。それは、朝6時の生放送で木梨さんが電話をかける事で実感した。「もしもし」声が震えてしまった。泣いてると勘違いされる程に、声が裏返り、嬉しい、です、した。次の週にTBSに行った。会議をして、台本をジロジロ見て、怒られて、喫煙室のタレントに、目を輝かせ、仮眠室で、眠れなかった。朝6時「パーン」の音。ラジオが始まる音だ。待っていた、私。番組の終わり頃に、私の名前が呼ばれた。走った。ドア開けた。座った。喋った。終わった。始まる、放送作家の仕事。終わらない、放送作家の仕事!

 

決断が出来なかった、決断しなかった。

でも、決断しない事も、決断だった。

学校に通わない決断。バイトで時間を消費しない決断。自殺しない決断。引きこもりを8年もやっていたから、もう、やるしかない、やってやろう、後悔をいっぱい抱えて、失敗をバネにして、夢を現実に。

迷いの中にいる。

何故なら、正解がない、そんな仕事だからだ。ずっと迷ってばっかりの人生。不正解の人生。私は正解を回答する公務員ではない。不正解を回答して、世界を広げる放送作家だ。私は、迷って答える、不正解という武器を授かった。

はず。